学者が既存の学説を誤って自己流に解釈した結果、後世に残る新たな学説の着想をえたり――
思考様式に異常のある政治家の言動が契機となって、その後の社会が大きく変革されたり――
人や社会の営みには、
――え? なんで?
と、思わず訝(いぶか)ってしまうような偶発性が付き物です。
「誤った自己流の解釈」や「思考様式の異常」は、ほとんどの場合で、否定的にとらえられることですが――
実際には、それらが本当に否定されるべきことなのかどうかは、容易にはわかりません。
その判別は人知を越えているといっても、いいでしょう。
それでも――
多くの人々は、「誤った自己流の解釈」を糾弾しようとし、「思考様式の異常」を是正しようとする――
そうせずには、いられないからです。
人や社会の営みに積極的に関わるときに、こうした人知の限界に気づかず、ただひたすらに合理や規範の理想を求めていると――
いつか悔やまれる日が来るかもしれません。
「誤った自己流の解釈」を是正しようとしたり、「思考様式の異常」を糾弾しようとしたり――
それら自体は、かまいません。
たぶん、人として自然な振る舞いですから――
ただ――
そうした振る舞いが後の時代の人々の失笑や冷笑を誘うかもしれないということは――
教養の一つとして、頭の片隅に入れておくのがよいでしょう。