マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「人間」から「人間性」を消し去ると

「人間」から「人間性」を消し去ると、

 ――人形

 になると僕は思っています。

 この話のポイントは「人間性」の定義です。
 何をもって「人間性」とするのか――

 もちろん、色々な考え方ができるでしょうが――
 僕は、

 ――人間の心身に備わっている自然な性質

 が「人間性」だと思っています。

 例えば――
 しばらく何も食べないでいると、お腹(なか)がすく――
 痛ましい事件を見聞きすると、自分までつらく感じる――

 あるいは――
 物事をミスなくこなそうと思って、ついミスをしてしまう――

 そうした変化や事象の類いは、人間の生体や心理に根差した自然現象の一つととらえることができます。

 これが人間性の実態です。

 ところで――
 こうした人間性は意識の作用で覆い隠すことができますね。

 お腹がすいているのに、我慢をするのは、意識の作用です。
 つらく感じているのに、顔に出さないのも、意識の作用です。

 人間は自分の人間性を意識して消し去ることができる――完全に消し去ることができなくても、相当に弱めることはできる――

 ということは、つまり――
 人間は、自ら意識することで、人形に化けることができる、ということです。

「人形」というと――
 つい「人間の不完全な似姿である」と、僕らは考えがちですが――
 そうではなくて――

 人形は人間が意識して作り上げる理想型の一つだと、僕は思っています。

 俳優がミスなく芝居をしているとき――
 演奏家がミスなく演奏をしているとき――
 スポーツ選手がミスなくプレイをしているとき――
 その姿に、僕は「人形」の至高を感じます。