ふと、
(道具の美しさとは何なのだろう?)
ということを――
考える機会がありました。
(世の中には美しい道具とそうでない道具とがあるようだ)
と――
そして、
(何が美しい道具で、何がそうではないかは、意外に客観的に決められそうではないか)
と――
実際、雑貨屋さんや家具屋さんなどに行くと――
売れ筋の商品ほど、
(美しい)
と感じることが多いように思います。
ということは、
(道具の美しさというものは、個々の主観によって、そんなには違わないのではないか――少なくとも美術品の美しさと比べたら――)
と――
(それは、なぜなのだろう?)
というのが――
考えの出発点でした。
*
道具というものは――
その道具を使おうとする人間の意図が作用することによって初めて完成する――
という考え方があります。
例えば、コップは人間が液体を口にするための道具ですが――
そのコップは、何らかの液体が注がれ、その液体が人間の口に含まれるまでは、未完成である――少なくとも、道具としては――
ということです。
つまり――
どんなにデザインの工夫された道具であったとしても――
人間によって使用されないうちは未完成とみなされる――
ということです。
ということは――
道具の完成度というものは、
――「それを使いたい!」と思う人間が現れるかどうか。そして、その人間が、それを末永く使い続けるかどうか。
にかかっているといえます。
一方――
どんな美しさも完成度と無関係ではありません。
基本的には――
完成度が高ければ高いほど“美しい”ということができます。
もちろん――
未完成であるがゆえの美しさというものも、なくはないでしょうが――
たぶん例外的です。
つまり、
――道具の美しさは、「それを使いたい!」と思い続ける人間の数――日々の暮らしの中で実際に使っている人間の数、使い続けている人間の数――に置き換えることができる。
ということです。
一般に、美しさは、そう簡単には数値化できないものですが――
道具の美しさに限っては、それなりの蓋然性をもって、
――数値化できてしまう。
と――
僕は思っています。