マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「大人」の宣言、「子供」の烙印

 ――これが大人のやり方である。

 という教示よりも、

 ――これが大人のやり方であると、私は思っている。

 という提案のほうに――

 より深みがあると思います。

 なぜか――

「これが大人のやり方である」との断定は、

 ――私は大人である。

 を前提としているようにみられるからです。

 自分で自分を「大人である」と宣言した時点で――
 その後の教示は、どうしても浅くなります。

 ……

 ……

 ――大人

 という言葉は――
 意図的かどうかは別にして、

 ――子供

 という言葉を並列に意識させます。

 いいかえるなら――
 自分で自分を「大人」と宣言した瞬間に――
 周囲の誰かに「子供」の烙印を押しかねない――

 そのことに思いが至らない不用意さが――
 教示の深みを消し去るのです。