マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

徳目の意義がわからないのではなく

 ――上から目線で徳目を押しつけるな。

 といっているのに、

 ――この徳目の意義がわからないなんて、どうかしている!

 と言い返している人がいて――

(なんだかな~)
 と、ため息をつきました。

「上から目線で徳目を押しつけるな」といっている人は、

 ――上から目線で押しつける。

 という点に重きを置いているのであって――
 決して、

 ――その徳目の意義がわからない。

 といっているのではないのですよね。

 が――
 どうしても上から目線で押しつけたいと躍起になっている人には――
 その主張の構造が伝わらないようです。

 そんな人に対し――
 いったい、どんな説明をしたらよいのでしょうか。

 ――その徳目の意義がわからないわけじゃなくて――

 と懸命に繰り返すしかないのでしょうか。

 ……

 ……

 ひょっとすると――

「徳目」を他の言葉に置き換えたら――
 少しは違うのかもしれません。

 つまり、

 ――上から目線で押しつけるのが良くないのであって、押しつけられている徳目が良くないのではない。

 ということを丁寧に説明する――

 あるいは――

 ……

 ……

 こういうのは――
 どうでしょうか。

 すなわち、「徳目」を「教養」や「共感」や「ユーモア」や「コミュニケーション」に置き換えてみる――

 ……

 ……

「上から目線で教養を押しつけるな」

「この教養の意義がわからないなんて……!」

 ……

 ……

「上から目線で共感を押しつけるな」

「この共感の意義がわからないなんて……!」

 ……

 ……

「上から目線でユーモアを押しつけるな」

「このユーモアの意義がわからないなんて……!」

 ……

 ……

「上から目線でコミュニケーションを押しつけるな」

「このコミュニケーションの意義がわからないなんて……!」

 ……

 ……

 一緒かな(笑