多少なりとも利己的でないと――
この世の中で成功は収められない――
という話を――
以前――
どなたからか、きいたことがあります。
(たしかに、その通りだ)
と――
僕も思っております。
……
……
現に成功を収めた人が――
10年とか30年とか前の自分の利己的な行いを告白し――
その身勝手によって不愉快な思いをしたであろう人たちのことを思い出し、
(できることなら、今からでも、その人たちに会って、謝り、許しを乞いたい)
と、こぼしている――
そんな話をきいたこともあります。
……
……
勘違いをしてはいけません。
その成功を収めた人は――
利己的な行いを、その時は躊躇なく実行に移したからこそ――
その後に成功を収めたのであって――
もし、その実行をためらっていれば――
その人の成功は、たぶん、ありえなかったのです。
そのことは――
当の本人が一番よくわかっています。
ですから、
――できることなら、今からでも、その人たちに会って、謝り、許しを乞いたい。
との懺悔を――
真に受けるわけにはいきません。
……
……
もちろん――
利己的な行いのみを連ねていても、よいことはありません。
利己的な行いの連なりの中にも利他的な行いを十分に盛り込んでいかないと――
必ずや、誰かに恨まれ、足を引っ張られるものです。
その結果――
場合によっては、それまでの成功で得たものの全てを失いかねない――
が――
このことは、利己的な行いの一切をやらなくても、この世の中で成功を収めることはできる――
ということを意味しているわけでは決してありません。
ある程度は利己的な行いをしていかないと――
この世の中では絶対に成功を収められない――
それは――
たぶん厳粛な事実です。