マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「もしかしたら、拒み通せていたかも……」の祈り

 ――“きょうそう”の世相を危ぶむ。

 というときの「きょうそう」は、

 ――狂騒

 と書いたり、

 ――狂想

 と書いたりするようですが――

 僕は、

 ――狂躁

 と書くのが――
 もっとも的を射ているように感じます。

 ここで用いられる「躁」という字は、

 ――騒がしく、落ち着かない様子

 といった意味です。

 ……

 ……

 狂躁の世相に抗(あらが)って――
 一人、正気を保ち――
 狂気の行いの一切を拒み通すことができるのか――

 昭和前期――第2次世界大戦前夜の世相を批判的にみる識者らが――
 異口同音に自問することです。

 知的に誠実である人ほど、

 ――いや。たぶん無理だろう。

 との結論に達しているように思います。

 ――あの時代に生きたならば、きっと自分も、拒み通すことはできなかった。

 と――

 人の弱さを熟知しているがゆえの結論です。

 が、それでも――
 ほんの僅かな希望をもって、

 ――もしかしたら、自分は拒み通せていたかもしれない。 

 と――
 まるで祈りにも似た気持ちで吐露をする人もいます。

 ……

 ……

 そんな人の言葉を――
 僕らは、あまり軽々しくは捉えないほうがよいでしょう。

 もし、ある人が――
 狂躁の世相に抗って――
 一人、正気を保ち――
 狂気の行いの一切を拒み通したら――

 その人は――
 いったい、どうなるのか――

 ……

 ……

 この懸念に――
 十分な思いを巡らせないと――

 その「もしかしたら、拒み通せていたかも……」の祈りに真摯に向き合うことは――
 きっと、できないに違いありません。