マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

日頃は当たり前に感じていた道徳観念が

 人は自分の生死の行方が翻弄されるとき――
 日頃は当たり前に感じていた道徳観念が、ひどく重く感じられるのです。

 ――重く感じられる――

 他に適した表現が見当たらなかったので「重く」と記しました。

 場合によっては「つらく」や「わずらわしく」と記したほうが誤解を生まないかもしれません。

 3月11日の被災のときに、そうした道徳観念に忠実だった人たちが大勢います。

 そして――
 そうした人たちの多くが、被災直後の津波で亡くなったそうです。

 津波の警報を触れまわっていて自分が津波にのまれた人――
 津波の避難誘導に当たっていて自分も津波にのまれた人――

 溺れかけの人を助けようとして、自分も溺れてしまった人――
 一人でも多く死地から救い出そうとして、自分も死地から戻れなかった人――
 いずれも日頃の道徳観念に忠実であろうとした人たちに違いありません。

 そういう人たちの思いや行いは、大変に崇高だとは感じますが――
 この崇高さを手放しで礼讃するのは、ちょっと危ういと思うのです。

 残された僕らに突き付けられた課題は――
 被災時にも日頃の道徳観念に忠実であろうとする人たちが自分の身を守ることに専念できるような仕組みを、一日も早く、作り上げることでしょう。

 津波の警報をギリギリまで触れてまわる必要がないように、皆で高台に移り住む――
 津波の避難誘導を必要としないくらいに、皆で注意をしあって整然と逃げていく――

 たぶん、それしかありません。