マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

プライベートの扱いは

 自分のプライベートは、それだけでは話の種にはならないものです。
 それにユーモアやウイットを交えてこそ、種になる――

「話の種」とは――
 その話をきかされた人が、その話をもっとききたいと思うとか、今度は自分の話をしたいと思うとか――
 そうなるキッカケのことです。

 プライベートの撒き散らしは、生活廃水の撒き散らしと一緒です。

 が――
 本人が意識しない場合は、そうでもなくて――

「本人が意識しない場合」とは、つまり――
 本人の与り知らぬところでプライベートが伝わっている場合には、話の種になることがある――
 ということです。

 その場合、プライベートの垂れ流しは、砂糖水の垂れ流しに相当するのかもしれません。

 プライベートの扱いは、そう単純にはいきません。