マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

ついネガティブにとらえたくなる時

 人には――
 何を感じても、ネガティブにとらえる時があります。

 何を見ても――
 何を聞いても――
 何を嗅いでも――
 何を味わっても――
 何を触っても――
 ついネガティブにとらえたくなる時というのがあるのです。

 例えば……といって、僕の具体的体験を例示すると、思わぬところに差し障りが出るかもしれませんから――
 今は具体的には述べませんけれども――

 とにかく、人には――
 そういう時というのがあって――

 ですから――
 多くの人たちが、生きる意義を見失って、大いに苦しんだりするわけです。

 何を見ても、

 ――醜い。

 と思う――
 何を聞いても、

 ――煩(うるさ)い。

 と思う――
 何を嗅いでも、

 ――臭い。

 と思う――
 何を味わっても、

 ――不味(まず)い。

 と思う――
 何を触っても、

 ――悍(おぞ)ましい。

 と思う――

 そういう時というのは――
 その人の心の中で、いったい何が起こっているのでしょうね。

 心が歪んでいるのか――
 心が壊れているのか――
 心が崩れているのか――
 心が融けているのか――
 心が砕けているのか――

 自分では、わからないものです。
 それは、自己の変化ではなく、自我の変化でしょうから――

 が――
 他者には、たちどころにわかることなのですよね。

 多くの場合、大したことが起こっているわけではないのです。