マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

小説を書くときの正当な手法

 小説を書くときは――
 まず何か読者に伝えたいことを用意して――
 それを伝える手段として虚構を捻出する――
 というのが、正当な手法であろうと思います。

 大切なのは「読者に伝えたいこと」そのものであり――
 そこには、虚構が含まれてはなりません。

 例えば――
「人殺しを楽しもう!」といったメッセージを伝える手段として虚構を捻出するような手法は、どこか間違っているのです。

 いや――
 そういう手法は、あってもいいのですが――
 読者にはわからないようにやらないと、いけません。

 そうでないと、読者に受け入れられない可能性が高くなるからです。

「人殺しを楽しもう!」なら、それは虚構的なメッセージだと、誰もが思うでしょう。

 が――
「親子の絆は大切だ!」なら、どうでしょうか。

 これを虚構的と思う人は、あまりいないでしょう。

 実際には、わからないのです。

 その小説の書き手にとっては、ひょっとすると――
 虚構的かもしれないのです。