マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

慶事と弔事とでは

 慶事と弔事とでは、弔事を優先させることが礼儀だとみなされておりますが――
 なかには、そうもいかない場合がありますね。

 例えば――
 1年くらい前から結婚の媒酌を引き受けていたところに、長年の友人が披露宴の前日に病死した――
 というような場合です。

 まさか、媒酌人の身で披露宴を欠席するというわけにはいきませんから――
 仕方なく、慶事を弔事に優先させる、ということになります。

 が――
 そのような背景を抱えての媒酌では、気分はすぐれないでしょう。
 慶事を弔事に優先させた負い目がある――

 かといって――
 お祝いの席で浮かない顔をしているわけにもいかない――
 事情を知らない人には不快感を与えるだけでしょう。

 慶事を弔事に優先させることほどツラいことはないでしょう。

     *

 ――慶事と弔事とでは、どちらが厄介か。

 と問われれば、僕は躊躇なく、

 ――慶事

 と答えます。

 その理由は、慶事は物事の始まりであることが多いからです。
 例えば披露宴は、一つの家庭が生まれ、どこかの共同体へ参画していくキッカケです。

 何事も、始まりでつまずいたら、大変です。
 粗相は慶事では決して許されない――

 そして、もう一つ見落とせないのは――
 慶事は、多くの場合には、どうしてもやらねばならないものではない、という点です。

 今時は、披露宴をやらない夫婦は珍しくありません。

 また、披露宴をやる場合には、婚姻関係を結んだ両家の体面のことが重視される傾向にあります。
 家格が釣り合っていることをいかにアピールするか、など――

 やらなくても済むものをあえてやろうとするものだから、リスクが生じるのですね。
 そのリスクを抑えるために、また新たなリスクを背負う――

 慶事が弔事よりも優先されないのは、もちろん、弔事の関係者の心情が考慮されてのことでしょうが――
 それだけが理由ではないように思います。