慶事と弔事とでは、弔事を優先させることが礼儀だとみなされておりますが――
なかには、そうもいかない場合がありますね。
例えば――
1年くらい前から結婚の媒酌を引き受けていたところに、長年の友人が披露宴の前日に病死した――
というような場合です。
まさか、媒酌人の身で披露宴を欠席するというわけにはいきませんから――
仕方なく、慶事を弔事に優先させる、ということになります。
が――
そのような背景を抱えての媒酌では、気分はすぐれないでしょう。
慶事を弔事に優先させた負い目がある――
かといって――
お祝いの席で浮かない顔をしているわけにもいかない――
事情を知らない人には不快感を与えるだけでしょう。
慶事を弔事に優先させることほどツラいことはないでしょう。
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――慶事と弔事とでは、どちらが厄介か。
と問われれば、僕は躊躇なく、
――慶事
と答えます。
その理由は、慶事は物事の始まりであることが多いからです。
例えば披露宴は、一つの家庭が生まれ、どこかの共同体へ参画していくキッカケです。
何事も、始まりでつまずいたら、大変です。
粗相は慶事では決して許されない――
そして、もう一つ見落とせないのは――
慶事は、多くの場合には、どうしてもやらねばならないものではない、という点です。
今時は、披露宴をやらない夫婦は珍しくありません。
また、披露宴をやる場合には、婚姻関係を結んだ両家の体面のことが重視される傾向にあります。
家格が釣り合っていることをいかにアピールするか、など――
やらなくても済むものをあえてやろうとするものだから、リスクが生じるのですね。
そのリスクを抑えるために、また新たなリスクを背負う――
慶事が弔事よりも優先されないのは、もちろん、弔事の関係者の心情が考慮されてのことでしょうが――
それだけが理由ではないように思います。