マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

二度三度と読むことが前提であっても

 世の中には、二度三度と読むべき本があって――
 それを一度しか読まないと、ほとんど読んだうちに入らない――
 そういう本が、あるのです。

 二度三度と読むべき本というのは――
 そのように読まれることが前提になっています。

 一度だけ読んでも、内奥の厳密なところはサッパリわからない――

 が――
 そういう本であっても、文章それ自体は読み易いものでなければなりません。

 二度三度と読むことが前提であっても――
 一度でサァーと読めるくらいに平易な文章で記されている――
 それが必要条件です。

 人は、スムーズな通読ができなければ、二度も三度も読もうとは思いません。

 つまり、二度三度と読むことが前提になっている本というのは――
 一度でサァーと読めるようになっているのですね。

 それが、

 ――本として洗練されている。

 ということの実態でしょう。