マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

独創性がないからこそ

 ときどき、

 ――あの政治家は、独創性はないけれど、良い政治家だ。

 という評価を耳します。

 すなわち――
 独創的なアイディアを自分では出さないけれど、他の人たちが出した独創的なアイディアを深くかつ広く学び、それらの良いところだけを活かして一つの案にまとめあげ、そこに世間の総意を集約させる――
 そのプロセスの主導の巧い政治家こそが、良い政治家である――
 ということです。

 たしかに、そういう政治家は優れた政治家だと、僕も思いますが――
 そういう政治家への評価として「独創性はないけれど」の部分は余計でしょう。

 むしろ、「独創性がないからこそ」なのです。
 だからこそ、自分の価値観を過信することなく、自分の意見を封印し、他の人たちの価値観や意見と真摯に向き合うことができる――

 一般に、独創性のある人は、政治家には向きません。
 政治家の補佐役――あるいは、相談役に向いています。

 ですから――
 民主主義の社会において、有権者の立場としては――
 独創的な政治家というのは、なるべく政治の表舞台に立たせないほうが得策だ――
 ということになります。

 もちろん――
 独創性があって、かつ自分の価値観を過信せず、自分の意見を封印できるような度量や視野の広さのある人がいたら――
 その人は偉大な政治家でしょう。

 政治の表舞台に立ってほしい――

 が――
 そんな偉人の登場を期待することはできません。

 もし、政治家に独創性を求めるような風潮があるのだとしたら――
 つまり、政治家への評価として「独創性はないけれど」という指摘がまかりとおるのだとしたら――
 ちょっと心配です。