ときどき、
(流行の中心には、誰がいるのだろう?)
と思うことがあります。
どんな流行でも、かまいませんよ。
例えば、芸能、服飾、娯楽、書籍、学問など――
これらの諸領域において、一般に「いま流行している」と思われている風潮に対し、
――私こそは、今の社会に、この流行をもたらした中心人物である。
と自覚している人が、
(はたして、この世のどこかに本当にいるのだろうか)
という疑問です。
子供の頃は、そういう人がいるものだと無根拠に信じていました。
ですから――
できることなら、大人になって、そういう役割を担ってみたいものだと思っていました。
が――
30歳も過ぎる頃になって、
(流行の中心には誰もいないだろう)
と思うようになりました。
もし、いるとしたら――
そこは“流行の中心”ではなく、その“中心”の周りではないか、と――
流行に夢中になっている人は、その流行の中心に誰かがいて、流行の渦を巻き起こしていると思っている――
けれども、実際には、誰もいない――
さながら、そこは台風の目のように――
あるいは――
もし仮に、その流行の中心に誰かがいたとしても、その人は、その流行の勢いを感知していないでしょう。
台風の目の下から暴風圏の空を想像することは、かなり難しいでしょうから――
流行のうねりに乗ろうとするときは――
あるいは、流行の波にのまれようとするときは――
暴風圏の空の下から台風の目の静けさに思いを馳せるような感覚が有用でしょう。
その感覚を的確に活用することができれば、ひょとすると――
その流行を相対化し、その流行の特徴をとらえ、さらに――
その流行の良さや悪さ、可能性や限界を、正確に把握することができるかもしれません。
流行には台風の構造のような性質があると考えるだけでも、だいぶ違うと思います。