マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人は「禁断の蜜」を「禁断」とは知らずに

 街中を歩いていたら――
 お祭りの屋台に囲まれた即席のステージの上で、若い女性がマイクを片手に歌って踊っていました。

 周囲には、そんなに多くはない男性の観客がいて――
 どの男性も視線の送り方は、そんなに熱心ではなさそうでしたが――
 視線が送られていることには変わりなく――

 だから――
 ステージの上の女性は、いたって満足そうでした。

 10年ほど前のこと――
 ある男性の芸能記者が、TVカメラの前のインタビューに答えて、

 ――女には「みられる悦び」というのがある。

 と語っていました。

 ――いわゆるアイドルの女の子たちは、売れようと売れまいと、その悦びを10代で知ってしまっている。よって、アイドルとして成功したかどうかに関わらず、その後の人生を歩むのが難しい。「その悦びを、いっそ知らなければ……」と思うこともある。

 と――

 つまり、「みられる悦び」は「禁断の蜜」だということでしょう。

 そのステージの上の女性が、本当のところは、どうであったのか――
 もちろん、僕にはわかりません。

 が――
「禁断の蜜」を貪っているようにみえないこともなかった――

 それが嫌らしいと感じられることはなく――
 むしろ愛おしいと感じられた――

 それは、僕が今年で38になるからでしょう。
 28の僕なら、たぶん「嫌らしい」と感じていたはずです。

 多くの場合、人は「禁断の蜜」を「禁断」とは知らずに口にするものです。
 その経験則が「愛おしさ」の源泉でしょう。