人は――
与えられたものは欲しがらずに――
与えられていないもの、無くしたもの、奪われたものを欲しがる傾向にあるようですね。
例えば――
ビュッフェ形式のレストランに行ったときに、そこで出されていない料理ほど食べたくなる、とか……(笑
それを「強欲だ」とか「卑しい」とかいって批判的に糾し、「節制」とか「足るを知る」とかいって自律に徹しようとすることは――
そんなに難しいことではありません。
が――
もし、それら強欲さや卑しさが人の本性ならば――
その自律は人の本性を抑え、歪めることにも通じるわけですから――
必ずしも人に良い影響を与えるばかりではないはずです。
悪い影響も、きっと与えることでしょう。
僕個人は、次のように考えています。
すなわち――
強欲さや卑しさは人の本性ではあるけれども、それだけが人の本性ではなくて――
節制に努めようとする欲求や充足を受け入れようとする謙虚さも、人の本性の一部に違いない、と――
よって――
自分の強欲さや卑しさをいたずらに憎んだりはせずに――
ときには、それら強欲さや卑しさに心を任せることで、節制への努力や充足の謙虚さが心の内から自然に湧き上がるように仕向けるのが賢明な態度ではないか――
自分の強欲さや卑しさから目を背けてばかりいると、かえって、それら負の本性だけが無自覚的に肥大していき――
仕舞いには“裸の王様”になるような気がしてなりません。