マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

自分自身が非日常の存在になる

 人は、ずっと非日常の体験を繰り返していると――
 やがて、そうした体験に慣れていき――
 ついには、自分自身が非日常の存在になってしまうかもしれません。

「自分自身が非日常の存在になってしまう」とは、

 ――自分の感覚が非日常的な事物を日常的ととらえ、自分の言動が非日常的になっていく。

 という意味です。
 もう少し違った角度から述べれば、

 ――自分の周囲の人たちによって「非日常的な物言いや振る舞いを日常的にやっている人」とみなされていく。

 という意味です。

 そうなれば、当然――
 周囲の人たちからは、多かれ少なかれ、孤立することになるでしょうね。

 多くの人たちは非日常よりも日常のほうを好みますから――

 ですから――
 人は、非日常の体験をしてしまったら――
 努めて日常の体験を繰り返すようにしたらよいでしょう。

 非日常の感覚を日常の感覚で薄めていくのです。

 これは、とても大切な処置でしょう。
 非日常の存在になるのがイヤならば――

 もちろん――
 非日常の存在になっても一向に構わないという人には――
 どうでもよいことに違いありません。