マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

政治に言葉が欠かせぬ理由

 きのうの夜――
 何気なくTVをみていたら、
(おや……)
 と思うことがありました。

 NHKのニュース番組に野田総理が登場されたのです。

 現職の閣僚がTV局のスタジオで隣席のキャスターからインタビューを受けることは、昨今では、特段に珍しいことではなくなっていますが――
 現職の総理大臣は異例でしょう。

 しかも、僕が記憶にある限り、どの閣僚よりも長時間にわたってスタジオの椅子に座っておられました。

 野田総理といえば、今夏の代表選挙での「どじょう演説」のことが、まず思い浮かびます。

 ご自分のことをどじょうに喩え、金魚に喩えられるような華やかな政治手法に惑わされることなく、地味で堅実な政治手法に徹していく覚悟をお示しになったものです。

 言葉使いの巧みな政治家です。
 この「どじょう演説」にも、聞き手の脳裏を揺さぶる情感がこもっていました。

 が――
 こうした演説の卓越性は、野田総理の言葉使いの巧みさの一端にすぎません。

 きのうのTV出演で野田総理が垣間みせられたのは、言葉の素朴さでした。
 飾り気のなさ、表裏のなさ、です。

 何か目新しい着想があったかといえば、何もない――
 何か雄大な構想が示されたかといえば、何もない――
 当たり前のことしか、お話しになっていない――

 それゆえに――
 伝わってくるものがあったのです。

 言語による非言語的メッセージとでもいいましょうか。

 奇抜なパフォーマンスをされたわけではありません。
 ただ、訊かれたことに淡々とお答えになっただけ――
 無難すぎるくらいに無難な――誰が口にしても同じ内容にしかなりようのない――そんなご発言ばかりでした。

 が――
 そのご発言のされ方に、野田総理のメッセージが込められていたように感じます。

 そのメッセージとは、

 ――今は政治を語る段階にはない。実行に移す段階である。

 といった内容かもしれません。
 あるいは、

 ――奇をてらった政治はしない。当たり前の政治をする。

 といった内容かもしれません。

 もっと簡潔にいってしまえば、

 ――私を信用してほしい。

 といった内容かもしれない――

 そうしたメッセージを、野田総理は具体的な言葉を用いずに発せられました。

(なるほど……)
 と思いました。

 ――政治は言葉だ。

 といわれます。

 その通りです。
 が、政治は話芸ではありません。

 政治に言葉が欠かせぬ理由――
 それは、

 ――言葉が人の心を動かし、言葉によって動かされた心が、人の手足を動かす。

 からです。

 ただの話芸は、心は動かすかもしれませんが、手足までは動かせない――

 あの「どじょう演説」で話芸を極めた野田総理は――
 今は人の心を動かすよりも、人の手足を動かすことに力点を置いているように思います。

 人々の心は、すでに「どじょう演説」で動いています。

 あとは、その動かされた心が手足を動かすまで、ひたすら待つしかない――
 それが、きのうのTV出演での野田総理のメッセージであったように思います。