「幸せとは?」と訊かれたら、
――それは、「幸せとは?」などと問わないで済むような精神状態にあること――
と、僕なら答えるでしょう。
「幸せとはなんだろうか」と考え込んでいるような人は――
たいていは、
――幸せではない……。
と、僕は思います。
では――
どうしたら人は「幸せとは?」などとは問わないで済むのでしょうか。
もし、
――幸せの感覚は、現実の世界に投影された虚構の幻影である。
とみなすのならば――
答えらしきものがみえてきます。
つまり――
「幸せの感覚」は現実と虚構との差異に根ざしていると仮定するならば――
人は――
ひたすらに現実を直視し続けることで――
あるいは――
ひたすらに虚構へ埋没し続けることで――
その「幸せの感覚」をそんなに希求しないで済むでしょう。
「幸せの感覚」を希求しないで済むのなら――
「幸せとは?」などと問わないでも済むはずです。
この場合――
「現実」とは、その人の身や心に影響を及ぼしうる自然現象や社会現象の全てであり――
「虚構」とは、その人の心の中に生じる楽観の作用――例えば、夢とか希望とかいったもの――
を指します。
とはいえ――
現実を直視し続けることも、虚構へ埋没し続けることも、それなりに困難です。
それは、夢も希望も抱かないようにするということか、現実から徹底的に逃避するということですから――
要するに――
人が「幸せの感覚」を希求しないで生きていくのは難しい――
つまり、人は「幸せとは?」と問わずにはいられない存在である、ということです。
人は容易には幸せになれない、ということですね。
なんだか面白くない結論ですが――
とても本当っぽくてイヤだな~(笑