マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

疑いこそが営みの基本

 疑似科学の話と本当の科学に基づいた話とを見分けるには――
 どうしたら、よいのでしょうか。

 ――疑い深くなる。

 というのが――
 最も確実な解決策のようです。

 いかにも科学的な話をきいたときに、まずは、

 ――それは本当か。

 と問いかけること――
 それが疑似科学の疑似性に気付く第1歩です。

「疑う」というと、何だか酷く否定的な語感を伴いますが――
 科学の世界では、疑いこそが営みの基本です。

 疑うからこそ、自分で調べる気になるのですね。

 自分で調べる気になるからこそ、分厚い成書や難解な論文を読んだり、込み入った実験や長期間の観察を行ったりする気になるのです。

 本当の科学によって得られた知見は、今日までの科学者たちによって、疑いの眼差しを繰り返し向けられてきたものばかりです。
 その眼差しを跳ね返し続けてきたものだけが、

 ――科学的知見

 として、科学の世界に受け入れられています。

 科学の世界では、疑いの眼差しは、むしろ歓迎されるのです。
 なぜならば、それを跳ね返し続けることによってしか、知見の正統性を主張できないからです。

 疑似科学では、疑いの眼差しは忌避されます。
 疑いの眼差しを無視し続けることによって、知見の正統性を担保しようとするのです。