マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

通説に挑むというのは

 通説に挑むというのは、勇気のいることです。

 何よりも、手間のかかることなのですね。

 相手は通説ですから――
 世の中の大部分の人たちに受け入れられている――

 それに疑義を挟み、新たな解釈を提示しようというのですから――
 相当に緻密な準備を調えなければなりません。

 まずは、通説を正しく理解し、その問題点を洗い出した上で――
 どこが問題なのかを分析し、説明し、新たな視点から修正する――

 かなりの労力を必要とします。

 それでも――
 通説に挑む心意気は、挑む当人だけでなく、世の中にとって、とても大切だと思うのです。

 たとえ、世の中の大部分の人たちにソッポを向かれることになったとしても――
 その挑戦には意義があります。

 準備が足らずに、自分の挑戦が潰えても――
 誰か他の人が、その挫折を踏まえて新たに準備を調え、新たな挑戦を始めるかもしれない――
 それが挫折して、また別の誰かが新たに挑戦を――

 そうやって、世の中の通説は少しずつ進化を遂げていくものでしょう。
 そのための労力には無形の価値があります。