マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

ヒトという生物種の子育ては

 子供づれが前提の空間というのが、ありますね。
 郊外型のショッピング・センターなどが、そうです。

 そういうところは、物が全体的に低い位置に置かれ、視界を遮るものがなく――
 とにかく、ただっぴろい――

 たしかに、幼な子をつれて歩くには絶好の環境といえましょう。

 が――
 とくに幼な子をつれているわけではないときは――
 何となく落ち着かない空間です。

 気の休まる物陰がないのですね。

 裏を返すと――
 幼い子をつれて歩くときは、そのように物陰のないところでしか安心できないということです。

 たしかに、そうかもしれませんね。

 僕には子がなくて、本当のところの実感などは、今ひとつわかりませんが――
 それでも、僕には甥や姪がいて――
 今よりも幼かったときに、ごく稀に、その子らをつれて歩くことがあったのですが――

 たしかに、あのときは、気の休まる物陰などはいらなかった――
 そんなものは邪魔なだけでした――だって、幼な子の行く先が隠されるだけなので――

 こういう点に、いわゆる、

 ――子育ての厳しさ

 というものが集約されるのでしょうね、きっと――

 気の休まらない情況のほうが、かえって安心できる、という――

 ――ヒトという生物種の子育ては、恐ろしく手間がかかる。

 とは、ある学者さんの述懐です。

 たしかに、その通りです。