自分にもできることを人にやってもらうのは、最大級のぜいたくである――
という考え方があります。
例えば――
昔の王侯貴族は自分にもできることを近習にやらせていました。
靴下をはくことも近習にやらせていたとか――
自分で靴下をはくほうが、ずっと楽だと思うのですが――
それをあえてしない――人にやってもらう――
そのぜいたくを、昔の王侯貴族は享受していたことになります。
以上は極端な例ですが――
今でも、こうした図式は基本的には失われていません。
例えば――
会社の役員が自分の執務室の掃除を業者に委託するのは、最大級のぜいたくです。
部屋の掃除くらいは、その気になれば、自分にも可能ですから――
このように――
現代の日本社会において、王侯貴族のぜいたくを享受しようというのは――
一見、不届きなことに感じます。
いくら、そこに金銭の授受があったとしても、
――カネに飽かしたぜいたくである。
という側面は、容易には否定しがたいのです。
が――
会社の役員が掃除を委託するのは、その分の時間や手間を、より重要な仕事――例えば、経営判断のための準備など――に費やすためです。
つまり、そのぜいたくには合理的な意味もあるのです。
とはいえ――
自分にもできることを人にやってもらうという点については、本質的には同じです。
――そうはいっても、やはり、けしからん!
と非難する向きは根強いでしょう。
よって――
自分にもできることを人にやってもらう場合は、少なくとも自分にはできないことを人にやってもらう場合とは違った配慮が必要でしょう。
その配慮とは――
自分にもできることをやってもらう人には、感謝の気持ちを、より明確に伝えること――
ではないでしょうか。
もちろん、自分にはできないことをやってもらう人にも、感謝の気持ちを伝えることは大切なのですが――
(たぶん、それ以上に大切だ)
と、僕は思うのです。