マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

他者の精神世界、自分の精神世界

 他者の精神世界は広くて深いと感じ――
 自分の精神世界は狭くて浅いと感じる――
 そういうものだと思っております。

 精神世界とは――
 例えば、わかっていること、覚えていること、感じとってきたこと、考えていること、思い描いていること、などの総和です。

 あるいは――
 精神世界が深いとは、物事の理解が奥深く、教養が満ち溢れているということであり――
 精神世界が広いとは、物事の知識が幅広く、関心が多岐にわたっているということです。

 自分の精神世界は狭くて浅いと感じるものです。

 自分で自分の心的内面を観察するときに、意識下に入る領域には限りがあります。
 人の意識は、しばしば氷山の一角に喩えられるくらいです。

 ですから――
 どうしても自分の精神世界は狭くて浅いと感じられる――

 が――
 他者の心的内面を観察するときには、その内面を直に観察することはできません。

 その他者の語ったことや記したことをなどを手がかりに、推察をするしかない――

 ところが――
 そうした手がかりから他者の心的内面を推察をするときには、対象となる心的内面は、本人が意識しているよりも広くて深いと感じられるのです。

 それは――
 過去の自分の語ったことや記したことを振り返れば、実感できます。

 そこには、あきらかに当時の自分の感覚よりも広くて深い精神世界が潜んでいるように感じられるのです。

(たしかに、何となく広くて深そうに思えるな~。けど、本当は広くも深くもなかったんだけどな~)

 思わず苦笑がこぼれるのです。