マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

技術は理解をされ、知恵は納得をされる

 ――よくわからないから人は知恵を絞り、よくできないから人は技術を磨く。

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 この、

 ――よくわからない・よくできない。

 の違いは、

 ――自己完結・他者関与

 の違いによるといえます。

 

 ――よくわからないことがよくわかるようになる努力は自己完結的であり、よくできないことがよくできるようになる努力は他者関与的である。

 ということです。

 

 あるいは、

 ――内面的・外面的

 といってもよいでしょう。

 

 ――よくわからないことがよくわかるようになる進歩は内面的であり、よくできないことがよくできるようになる進歩は外面的である。

 ということです。

 

 ――内面的

 というのは、

 ――当人にしか伝わらず、周囲には伝わりにくい。

 ということです。

 ――外面的

 というのは、

 ――当人に伝わるだけでなく、周囲にも伝わりやすい。

 ということです。

 

 このことから――

 すぐにいえることが幾つかあります。

 

 1つは、

 ――知恵はなかなか理解をされず、技術はただちに理解をされる。

 ということです。

 

 この場合の

 ――理解

 とは、

 ――表層的な認識

 のことです。

 これに対し、

 ――深層的な洞察

 を、ふつうは、

 ――納得

 といいます。

 

 知恵は納得の対象であって――

 理解の対象ではありません。

 

 単に理解をされただけの知恵というのは、ただの知識であって――

 それが知恵として活かされることは、ほとんどありません。

 

 一方――

 技術は理解の対象ではありますが――

 納得の対象では、ふつうはありません。

 

 ある技術に納得がいくということは――

 それと同じ技術を自分も身につけているというような場合に限ってのことです。

 

 一般に、

 ――技術はほとんど納得をされず、知恵はしばしば納得をされる。

 といってよいでしょう。

 

 もう少しいい方を工夫すると、

 ――人は技術に感嘆をし、知恵に共感をする。

 となります。

 

 人は――

 ある程度の理解があれば、感嘆はできますが――

 共感は、よほどの納得がないかぎり、できません。