僕らは、よく、
――つらく苦しい体験
などといって、何となくわかったような気持ちになってしまうことがあります。
が――
本当の「つらく苦しい体験」というのは、言葉では簡単には言い表せないものだと思っています。
一見「つらく苦しい体験」というのは、自分自身が何か酷い目に遭うことだと思いがちです。
が――
そうではないでしょう。
いえ――
もちろん、「つらく苦しい体験」には自分自身が酷い目に遭うことも必要です。
自分自身が酷い目に遭っていないのに、「つらく苦しい体験」をするということは、たぶん、ない――
が、そのような目に遭うだけでは、足りません。
それだけでは、たぶん、それほどにはつらくないし、苦しくもない――
本当の意味での「つらく苦しい体験」というのは――
そのような酷い目に遭うことに加えて、さらに別の罪業という災禍が重くのしかかっているのです。
それは――
酷い目に遭う自分が、誰か別の人に対し、さらに酷い仕打ちをしてしまうこと――
そして――
そういう自分を許さない――許せない――と思いつつも――
どこかで、「許してしまいたい」と思う自分の心の動きに気づくこと――
そういう体験をしたときに、それは、本当の意味で、つらく苦しい体験になるのです。
70年前の太平洋戦争(大東亜戦争)では、出征された多くの方々が、そのような体験をされたことでしょう。
例えば――
敵の追撃から必死で逃げているときに、まだ意識のある瀕死の同僚兵士から水や食べ物を奪って逃げてきた、とか――
あるいは――
10か月前の東日本大震災でも、被災された多くの方々が、体験をされたに違いありません。
例えば――
津波に流される親を見捨てて逃げたが、やがて自分も津波にのまれて、それでも、なぜか奇跡的に助かった、とか――
こういう体験こそが――
本当の意味で、つらく苦しいものに違いないのです。