マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「心の闇」という言葉を発したときには

 ――心の闇

 という言葉を、ときどき耳にしますが――
 僕は、この言葉を、できる限り、使わないようにしています。

 というのは――
 心の内実は他者には決してみえないものだからです。

 少なくとも他者の心は「闇」以外の何物でもないのですよね。

 ところが、「心の闇」というと、「闇」でない部分もあるように感じさせる――
 これは深刻な誤解を招きかねません。

 僕が「心の闇」というときは――
 他者の心ではなく、自分の心についてです。

 他者の心と違い、自分の心は、まあ、何となくはわかります。

 全部がわかるわけではありませんが――
 部分的にはわかる――

 例えば、意識にのぼることなら、わかりますよね。

 ――あ、いま自分は喜んでいるな。

 とか、

 ――ちょっと苛立っているな。

 とか――

 わかるということは、いうなれば、「光」が当てられているのです。

 逆に――
 光が当てられていないところは、「闇」です。

 つまり、「心の闇」とは、自分の心について、意識にのぼらない部分を指す言葉としては適切である、ということになります。

 あくまでも自分の心についてですよ。

 要するに、知的に誠実であろうと思ったら、

 ――「心の闇」という言葉を発したときには、自動的に自分の心の内実を語らねばならない。

 ということになります。

 それは、僕は、あまり好きではない――

 自分の心の内実を、そう簡単には語りたくないと思っています。

 ですから、「心の闇」という言葉を、僕は、できる限り、使わないようにしているのです。

 ましてや、

 ――闇

 ですからね~。

 自分の「心の闇」なんて――
 できることなら、知りたくもないのですよ(苦笑