マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

やりたくないことに着目する

 人は、自分のやりたいことよりも、やりたくないことのほうが――
 よくわかるものです。

 例えば――
 子が母親に、

 ――あなたは、いったい何をしたいの?

 と訊かれたときに、

 ――スポーツがしたい。

 ――ゲームがしたい。

 とは、なかなか答えられないものですが、

 ――勉強はしたくない。

 ――奉仕活動はしたくない。

 なら、すぐに答えられる可能性がある――

 あるいは――
 学生が教師に、

 ――きみは、どんな仕事に就きたいのかね。

 と訊かれたときに、

 ――行政に携わりたいのです。

 ――小売業に興味があります。

 とは、なかなか答えられないものですが、

 ――町工場は気が進みません。

 ――外資の証券会社は嫌です。

 なら、すぐに答えられる可能性がある――

 そういうものです。

 このことを否定的にとらえる人がいます。
 とくに10代、20代の人たちに多い――

 気持ちはわかります。
 やりたいことにではなく、やりたくないことに着目するのは、一見、不健全です。

 が――
 その不健全さが疎ましくなるのは、自分のやりたいことが本当は何なのかについて、考え、悩み、もがき、苦しんだ経験に乏しいからでもあります。

 やりたくないことに着目することを――
 そんなに否定的にとらえる必要はないでしょう。

 やりたくないことをどんどんと積み上げていけばよいのです。

 積み上げていって、それら「やりたくないこと」の重なりに覆われていないところを、探せばよい――
 そこに、やりたいことが転がっているはずなのですから――