マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

必然と偶然と

 一般に、

 ――必然

 の対義語は、

 ――偶然

 ということになっていますが――
 この2つの概念は、そんなに対称的ではありません。

 例えば、次のような因果の連鎖を考えます。

  A→B→C→D→E

 この連鎖の中では、

  A→B
  B→C
  C→D
  D→E

 の4つの移行段階があります。

 これら4つの段階の全てで偶然の余地がないときに、この因果の連鎖は必然であるとみなせます。
 また、これら4つの段階の全てで偶然の余地があるときに、この因果の連鎖は偶然であるとみなせます。

 では、これら4つの段階のどれか1つに偶然の余地がある場合は、どうでしょうか。

 例えば、

  C→D

 だけに偶然の余地があり、他の3つの段階では偶然の余地がないとします。

 このときに、この因果の連鎖は偶然でしょうか、それとも必然でしょうか。

 必然でないことはあきらかです。

  A→B→C

 までは必然ですが、

  C→D→E

 は必然ではありません。

  C→d→e

 かもしれないし、

  C→α→β

 かもしれないし、

  C→1→2

 かもしれない――
 こういう連鎖は、ふつう「必然」とは呼ばれません。

 では、「偶然」なのかといわれると、そうでもない――
 少なくとも、4つの段階の全てに偶然の余地がある場合よりは、偶然的ではありません。

 偶然の余地があるのは、

  C→D

 だけであり、

  c→d
  α→β
  1→2

 は、それぞれに必然なのですから――

 つまり、「必然」と「偶然」とは、必ずしも対称的な概念ではなく、

 ――「必然」の否定が「偶然」である。

 ということになります。

 ――「偶然」とは「非必然」のことである。

 といってもよいでしょう。

「必然」の牙城に「偶然」が侵入すれば、その牙城は「偶然」となるのですが――
 その牙城のどれくらいの領域が「偶然」によって支配されているのかは、皆目わからないのです。

 あるいは、こうもいうことができます。

 ――「必然」は純白だが、「偶然」は漆黒以外にも様々な濃度の灰色がある。

 と――

「必然」を「純白」としたのは、便宜上の措置です。
「必然」を「漆黒」とし、「偶然」を「純白以外にも様々な……」としても、何ら問題はありません――念のため――