議論の質を決めるのは意見交換の回数であろうと思います。
正確には、表明される見解の総量に対する意見交換の回数の比です。
例えば、お互いに100の見解を表明しあう場合に――
表明される見解の総量は200であるとみなしましょう。
この場合、見解総量200あたり何回の意見交換があったかが、大切なのです。
AからBへ50、BからAへ50、AからBへ50、BからAへ50――
これだと、見解総量200あたりの意見交換は2回ということになります。
これを議論1としましょう。
一方――
AからBへ10、BからAへ10、AからBへ10、BからAへ10……これをどんどん繰り返していくと――
見解総量200あたりの意見交換は10回ということになります。
これを議論2としましょう。
議論1と議論2とでは、どちらの質が高いか。
僕は、議論2だと思っています。
――そんなことはない。
という向きもあるでしょう。
議論2では、1回あたりに表明される見解の量が少ないので、見解の内容が粗雑になるとか――
意見交換が頻回にされることで、見解が重複して表明されうるとか――
それは、その通りと思います。
議論2では、これらの弱点は不可避です。
が――
そのことを十分に割り引いたとしても――
僕は、議論2のほうが、質は高くなると考えるのです。
その理由は、意見交換がされる度に、お互いの同意点と不同意点とが確認されうるからです。
そこは同意できる――そこは同意できない――
こうした論点が整理がなされて初めて、議論は奥深くかみあうのです。
論点が整理されないままであれば――
表明される見解が、いくら洗練された内容であっても、いくら必要かつ十分であっても――
不毛な議論に堕すると思うのです。