「天国と地獄」という概念が、たいていの文化圏で共有されていることは――
考えてみれば、面白いことです。
死後の世界というものがあって――
それには楽しい世界と苦しい世界とがある――
という概念です。
楽しい世界だけではなく――
苦しい世界だけでもない――
どちらもある――
そこが不思議なのです。
が――
落ち着いて考えてみたら、そんなに不思議ではなくて――
すなわち――
もし、どんなことがあっても――
死後の世界は必ず楽しくなるといわれれば、誰も今の人生を一生懸命には過ごさなくなるでしょうし――
死後の世界は必ず苦しくなるといわれれば、誰もが今の人生に絶望をし、投げやりに過ごしてしまうでしょう
つまり――
今の人生に向き合っている人間にとっては――
死後の世界というものは、今の人生での頑張りや誠実さなどが反映されたものでなければならない必要があるのです。
むしろ、もっと興味を抱くべきは、
――今の人生が終わっても、今の自分は存在し続ける。
という前提のほうでしょう。
このことが前提とされているから、死後の世界という概念が編み出されているわけで――
――死んでも続く自分
という固定観念が、たいていの文化圏で共有されている――
ということのほうが、ずっと不思議なのです。
もちろん――
その不思議さは――
いかなる文化圏も、それを構成する固体は同じ生物種である――つまり、人間である――という説明で、とりあえずは解消されえます。
人間の精神活動は、「人間」という生物種が備える「脳」という臓器の働きの一部であり――
その働きは、おそらくは、すべからく同じ機能原理によって司られているでしょうから――