マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

理解可能でないものに、いかに対処するべきか

 理解可能でないものに対し、どのような評価を下すべきか、という課題は――
 人間の知性にとって、おそらく最大級の難問でしょう。

 理解可能でないのだから、評価はできないのです。

 が――
 それでも、評価を下さなければならないときに――
 人は、どのように対処をするべきか――

 第一に考えられるのは、

 ――先送り

 です。

 ――自分には正当な評価ができない。だから、誰か代わりの人に評価を託したい。

 そういう意思表示は、ギリギリのところでは、許容されてしかるべきでしょう。

 が――
 どうしても評価を下さなければならない状況にありならがら、それを回避するのですから――
 逃避ないし怠慢の謗(そし)りは免れません。

 それでも、あえて回避をするのなら――
 謗られることを厭(いと)わずに、断固として回避をするのなら――
 それもまた一つの評価の在り方ではなかろうかと感じます。

 第二に考えられるのは、

 ――直感頼み

 です。

 ――自分には根拠は説明できない。が、たぶん、このような評価が妥当と思う。

 そういう意思表示です。

 これは、いわばバクチのようなものですから――
 あとで周囲から先見の明を絶賛される可能性があれば――
 あとで赤っ恥をかいて己の不明を呪い続ける可能性もあります。

 第一の対処「先送り」にせよ、第二の対処「直感頼み」にせよ――
 そんなにスマートな回答の仕方ではありません。

 だからこそ――
 人間の知性にとって、最大級の難問だと、僕は思うのです。