混沌は現代芸術の重要なテーマの一つであると――
僕は思っております。
が――
混沌が「たしかに混沌である」と認められるためには――
その混沌の周辺に、一定の秩序の存在することが、どうしても必要なのですね。
混沌は、秩序と比較されることで初めて、秩序から逸脱したもの――つまり、混沌――として認知されうるのです。
ですから――
混沌を、何らかの芸術手法で――たとえば、絵画や映像や演劇や文芸で――伝えようと思ったら――
まずは、その混沌の周辺の秩序を伝えなければなりません。
プールの水の中の「混沌」を描くのなら――
例えば、プール・サイドの「秩序」も描く必要があるのです。
なぜならば――
人は、現実の日常世界においては、プール・サイドを経てプールの水の中に入っていくしかないのですから――
これは――
ほんの一例です。
もし、「プールの水の中」にも混沌があると実感させたいのなら――
まずは「プール・サイド」の秩序のようなことを体感させなければならない――
ということです。
人が察知しうる混沌は、おそらくは――
この世界の至るところに存在しています。