マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「和をもって貴しとなす」の「和」とは

 相手の主義・主張を本当はよくわかっていないのだけれども――
 ときに、ただ微笑んで黙っているだけで、

 ――あ、この人は、わかってくれてるんじゃないか。

 と誤解させることができます。

 もちろん、このような誤解は通常の社会規範に基づけば、けっこう迷惑なことなのですが――
 少なくとも、この国では、そんなには問題視されません。

 それどころか――
 むしろ、このような誤解を与えやすい人が――
 場の雰囲気を落ち着かせる能力があるとの理由で――
 かえって組織の内部で重用されることも、あります。

 まさに、

 ――和をもって貴しとなす。

 の思想が具現化されているようにも思えますが――
 実際には、「ただ黙って微笑んでいるだけ」で醸し出される「和」は、「和をもって貴しとなす」の「和」とは、本来、相容れないものでした。

 このスローガンを掲げたとされる聖徳太子の本意は、

 ――コミュニケーションを相互に密にとったうえで、全員が等しく納得できるような意思決定の仕方を模索せよ。

 であったと考えられているそうです。

 つまり、「全員が等しく納得できるような意思決定」を下すことこそが「和」をもたらす――
 という思想であったわけですね。
「ただ微笑んで黙っているだけ」の「和」は、決して本物の「和」ではない、と――

 たしかに――
 誤解が基盤になっているような「和」ならば――
 本物であるわけはありませんね。