社会人にとって真に大切なことは――
世界中のどこにいても、世界の中の自分を意識できるかどうか――
だと思っています。
日本の首都圏の霞が関にいても――
津波で被災した東北地方の沿岸部にいても――
ニューヨークの金融街にいても――
アフリカの山間部にいても――
世界中のどこにいても、世界の中の自分を意識できるかどうか――
僕は現在、東北地方の一都市である仙台に住んでおります。
よって――
僕にとっては、仙台にいながら、世界の中の自分を意識できるかどうかが、社会人として真に大切なことだと思っています。
「世界の中の自分を意識する」とは――
決して世界の金融街での株価の推移などを意識するということではありません。
もっと大局的な意識です。
一言でいうならば――
世界の各地から、自分が、どうみられているのか――あるいは、みられうるのか――
あるいは――
自分たちの暮らす国や街(町)や集落や共同体は、どうみられているのか、みられうるのか――
そうしたことに思いをはせる想像力が、社会人の素養の性質を決めていきます。
こう主張すると、「地に足をつけて物をいえ!」とお叱りを受けることがあるのですが――
たしかに、仙台に住んでいれば――
ウォール街のトレンドの大部分は知らなくてもよいのです。
が――
ウォール街に住む人たちが、極東の島国のトホク(Tohoku)地方のセンダイ・シティ(Sendai City)に住む30代終盤の社会人男性をどうみているのか――
それについては、ある程度は想像できなければならない――
あるいは――
南スーダンの山間(やまあい)に住む人たちが、どうみているのか――
そういうことです。