マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

解決は、認識・表現されることによって初めて

 政治においても経済においても――
 あるいは、社会においても家庭においても――
 あるいは、学問においても芸術においても――
 何か重大な問題点があって、それが人々の営みの支障になっている(あるいは、今後、支障になる可能性が高い)ようなときに――
 当然のことながら――
 人々は、

 ――その問題点をどうにかして解決したらいい。

 と思うものですが――
 実は、その「どうにかして解決したらいい」という段階に行くまでが、とても大変なのですよね。

 なかなか、その段階には行けないものなのです。

 そもそも、まず「問題点」がしっかりと言葉で表現され、指摘されるのが珍しい――

 その前に――
 そもそも、「問題点」がしっかりと客観的に認識され、受容されるのが珍しい――

 世の中の「問題点」というものは、たいていは主観的に感受され、暗黙のうちに排除されているのが普通です。
 つまり、最初から「なかったこと」として処理されている――

 ですから――
 そうした「問題点」が解決されるようなことは、まずなくて――
 そのまま、人々の営みを脅かしつづけることになる――

 いかなる「問題点」も――
 まずは人々によって客観的に認識され、次いで言葉で表現されるところから始まります。

 いわゆる原発問題が、好例です。

 原発に関わる諸問題の中で、きわめて深刻なのは、いわゆる福島の事故処理のことですが――
 より普遍的な意味で深刻なのは、おそらくは放射能廃棄物の保管・処理のことです。

 このことが――
 去年の震災以前に言葉で明確に表現されることは、きわめて稀でした。

 おそらく、客観的に明確に認識されることも、稀だったでしょう。

 が――
 最近では、主要なメディア(テレビ、新聞、雑誌など)で、しょっちゅう見聞きします。

 よって――
 この問題は、震災前に比べれば、解決に向けて、格段に進展したといってよいでしょう。

 もちろん――
 その解決の具体像は、はるか彼方の遠景ですが――