先日――
ヨーロッパの原子核関連の研究施設が、
――最新式加速器の実験でヒッグス粒子の存在が強く示唆された。
と報告して以来、ヒッグス粒子の話題が巷であふれておりますが――
TVや新聞などでのヒッグス粒子の説明が、どれも天下り的で、
(なんだかな~)
と思っておりました。
僕は物理学が好きなのですが――
その理解は、あくまでも一般教養のレベルにとどまっておりますので――
TVや新聞などの天下り的な説明を補って理解することができません。
「天下り的な説明」というのは、簡単にいうと、
――物事の根源にさかのぼっていない説明
ということです。
例えば――
ヒッグス粒子についていえば、
――素粒子に質量を与える粒子だ。
とか、
――もし、ヒッグス粒子が存在しなければ、地球も人間も存在しなかった。まさに“神の粒子”だ。
とかいった説明はなされるのですが――
では――
なぜ、「素粒子に質量を与える」といった一見奇妙な概念を考える必要があったのか、とか――
なぜ、「ヒッグス粒子」という概念が科学者たちによって考案されてきたのか、とか――
なぜ、ヒッグス粒子の存在しない世界は想定されにくいのか、といった説明は一切されないのですね。
根本的には、たぶん放送時間や紙面の広さの問題なのでしょうが――
説明をしている出演者や記者の人たちが「天下り的な説明」を自覚できていないらしいか、あるいは「天下り的な説明」に確信犯的に終始しているらしい点が――
ちょっと気になります。
こういうときに頼りになるのは――
やはりネットですね。
そこで――
さっそく検索して調べてみましたら――
おおよそ以下のことがわかりました。
――現在、物理学が想定している素粒子は、理論的には質量がないはずなのだが、実際には質量のあるらしいことが判明している。この矛盾を解決するために、素粒子に質量を生じさせる新たな素粒子の存在が仮定された。それが「ヒッグス粒子」と名付けられた。
ということは――
ヒッグス粒子は“神の粒子”でも何でもないことになりますね。
ヒッグス粒子は、科学者が自然界の物理現象をあまねく説明するために考案した概念であり――
もし、ヒッグス粒子の存在が実験で否定されたら、科学者たちは現在の物理学の理論を一から組み立て直す必要があった――
というだけのことです。
ちなみに――
ネットでの報道によれば――
イギリスの有名な理論物理学ホーキング博士は、
――ヒッグス粒子の存在が強く示唆されたことは、基本的には喜ばしいことなのだが、一方では残念な気もする。
といった趣旨のことを述べられたそうです。
この「残念な気もする」という感覚を正しく伝えることが――
今回の「ヒッグス粒子」報道の使命であるような気がしてなりません。
少なくとも純粋に科学的な見地からは――
ヒッグス粒子の存在は肯定されるよりも否定されていたほうが、よりセンセーショナルでした。
なぜならば――
それは、これまでの物理学の理論を一から組み立て直せるチャンスが巡ってきたことを意味したからです。
野心的な若手研究者たちは、先日のニュースをこう迎えたことでしょう。
――残念! ヒッグス粒子がみつかってしまった!