マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人は、ある程度、歳をとってきたら

 人は、ある程度、歳をとってきたら――

 自分の知っていることや、自分でわかっていることよりも――
 自分の知らないことや、自分ではわかっていないことのほうが――
 ずっと大事です。

 人は、自分の知っていることや、自分でわかっていることなら、十分に把握し、掌握できていますから――
 その内容を、労せずに参照し、活用することができるのですが――

 自分の知らないことや、自分ではわかっていないことは、それを具体的に想像し、描写することが大変に困難ですから――
 その内容を、労せずに推定し、補完することはできません。

 その推定や補完には、相応の労力や時間――それに、胆力――を必要とするのです。

 歳をとった人は、自分の知っていることや、自分でわかっていることが豊富です。

 そのぶん――
 自分の知らないことや、自分ではわかっていないことを推定し、補完するために必要な手がかりを――
 何とか揃えることができるのです。

 が――
 歳をとっていない人には、それが難しい――
 自分の知っていることや、自分でわかっていることが、限られているからです。

 自分の知らないことや、自分ではわかっていないことを推定し、補完ために必要な手がかりを――
 どうにも揃えることができないのです。

 老練な賢者は、自分の知識の広さや理解の深さを誇示しません。
 むしろ、自分の知識や理解の限界を臆することなく明示します。

 その限界を曝け出してなお、思慮を示し、知恵を授けうるのが――
 真に老練な賢者です。