マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

自然に争いを始める存在なのか

 人は、自然に争いを始める存在なのかもしれません。
 争わずには生きていけない――

 そうした闘争性を人の生来の性質とみなし――
 その性質に、ある種の肯定を与えておくことは、自己嫌悪の迷妄から自由であるためには、そんなに悪いこととは思いませんが――

 実際に――
 目の前で、人と人とが争っているところをみせつけられると、
(そうもいってられないよな~)
 などと思います。

 人と人との争いは――
 自分が当事者のときは、そんなに醜いとは感じないものですが――
 自分が傍観者のときは、けっこう醜いと感じるものなのですね。

 これも人の本能でしょうか。

 生物種としてのヒトは、自分の周囲にある争いは避けようとするけれども――
 自分が渦中ある争いについては、これに積極的に関わっていく――

 そうすることで――
 たしかに、数多くのヒトの個体は、したたかに生き延びてきたに違いありません。

 これからも、きっとそうでしょう。