一般に、人が何か出来事に遭遇することで心が動くときというのは――
その出来事の起こることが、ある程度は予想されていながらも、かつ、それがそんなには起こりやすくないと予想されていた場合だ――
といわれます。
例えば――
野球の試合でいえば――
9回裏、ツーアウト、ランナーなしから逆転勝ちをおさめるとか――
サッカーの試合でいえば――
延長戦の後半ロスタイムで同点に追いつかれ、PK戦で負けてしまうとか――
そういった事態です。
もし――
9回裏、ツーアウト、ランナーなしから球場の地面が陥没するとか――
延長戦の後半ロスタイムで、主審の時計が故障して逆回りし始めるとか――
そういった全く予想されていなかった出来事が起こってしまえば――
人の心は――
動くどころか――
かえって硬直し、静止してしまいます。
つまり、すっかり茫然自失となってしまう、ということですね。
必要なのは、
――適度に予想外
であって、
――本当に予想外
ではないのです。
何の話か――
オリンピックのことです。
くしくも野球やサッカーの例を引いたように――
スポーツの試合というものは、人の心を動かすのに申し分のない出来事が、いっぱいに詰まっています。
だからこそ、スポーツに魅せられる人たちが多いのですが――
でも――
そのスポーツが国際大会や国際試合となれば、そうもいっていられません。
誰だって自然な郷土愛や愛国心のようなものをもっていますから――
自国の選手やチームが好成績をおさめると信じて観戦したがるものです。
つまり――
自分の国の選手やチームが好成績をおさめないのは、あたかも「球場の地面が陥没する」とか「主審の時計が逆回りする」に匹敵するかのような予想外であってほしい、と――
つい願いながら、目の前の試合を観戦してしまうのですね。
本当は――
オリンピックのような国際イベントをスポーツとして十分に堪能するには――
自然な郷土愛や愛国心のようなものをも厳しく自制しなければならないのです。
何とも奇妙な結論です。
ここに、オリンピックの商業主義の歪(いびつ)さが集約されていると感じます
スポーツ・ファンがオリンピックを商品として“消費”するとき――
「本当に予想外」を忌避したい心境にありながら、それでも「適度に予想外」を楽しむというのは――
そう簡単ではありません。
きっと並みの精神力では無理でしょう。
それは、オリンピックのTV中継などで、自国の選手やチームが敗れて茫然自失となった観客の顔をしばしばみかけることで、よくわかります。