どんなに奇異で、奇妙で、奇怪で、衝撃的な現実があったとしても――
その現実に日常的に慣れ親しんでしまえば――
そんなには気にならなくなってしまいます。
そればかりか――
やがて、その現実のありさまに、おかしみや軽みのような感覚をもつようになることがあります。
それが好ましいことかどうかは別にして――
そのように、奇異で、奇妙で、奇怪で、衝撃的な現実を受容し、理解する上では――
そうした感覚が心に正の影響を及ぼすでしょう。
その結果、思わず笑みがこぼれてしまったとしたら――
たぶん、
――なんと不謹慎な!
との誹(そし)りを免れえないでしょうけれど――
それでも――
人が、過酷な現実に直面し、それでもなお、心を安寧に保つには――
おそらく、その「不謹慎さ」が必要なのです。