マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

パズルが楽しいのは

 パズルが楽しいのは――
 そのパズルが解けるとわかっているからですよね。

 解けるかどうかがわからないパズルを解くのは――
 そんなに楽しくはないはずです。

 あるいは――
 解けるパズルを自分の手で一から作りあげるのも、そんなには楽しくない――

 解けるパズルには――
 そのパズルを作った人のメッセージが込められています。

 パズルを解く人は、そのパズルを作った人とのコミュニケーションを疑似的に体験するのです。

 つまり――
 パズルを解く楽しみとは、コミュニケーションの楽しみに他なりません。

 これに対し――
 解けるかどうかがわからないパズルには――
 不完全なメッセージしか込められていません。

 いわば、信頼に足らないメッセージです。

 そのようなメッセージを介してでは、コミュニケーションは頓挫します。

 また――
 解けるパズルを自分の手で一から作りあげることは――
 終始、自問自答に徹することを意味します。

 いわば、一人相撲にあけくれる――あるいは、観客のいない一人芝居にいそしむ――ようなものです。

 そこには、そもそもコミュニケーションが存在しえません。

 解けるかどうかがわからないパズルを解くのも――
 解けるパズルを自分の手で一から作りあげることも――
 よほどの覚悟がない限りは、まず楽しめないのです。