道具というものは――
たいていは、その使用目的がハッキリとわかっているものです。
例えば――
ハサミの使用目的は、ハッキリとわかっています。
その目的は、おそらくハサミが発明された当初と今日とで、そんなに大きな違いはないでしょう。
が――
たまに、使用目的のハッキリとわかっていない道具もあって――
その典型例が、コンピュータです。
コンピュータが開発された当初――
今日の使用目的が全て予見されていたとは、とうてい思えません。
それどころか――
ほんの10年先の未来に――
コンピュータは今日の僕らの予想を超えた使われた方をしている可能性があります。
問題なのは――
使用目的がハッキリしないような道具は、
――たしかに「道具である」といえるのか。
という点です。
コンピュータの例に戻れば――
ソフトウエアは、たしかに道具であろうけれども――
ハードウエアは、はたして道具なのか、と――
何がいいたいのかといえば――
実は、数学の話です。
線形代数や平面幾何や微分積分や確率統計は道具であろうけれども――
数学は、はたして道具なのか、と――
もっといえば――
数学に出てくる概念や数学で行われる営為――数、式、命題、ベクトル、行列、演算、証明、検定――
それらは、はたして道具なのか、と――
違うでしょうね、きっと――
コンピュータのハードウエアが道具でないのなら――
それらも、きっと、道具ではないでしょう。