過去の自然現象には何らかの傾向や規則性を見出すことができて――
それらを基に――
人は、自然現象の負の事象の勃発――例えば、地震・津波や火山の噴火、暴風雨・暴風雪、あるいは感染症の大流行など――に備えることができるわけですが――
その傾向や規則性というのは――
金科玉条がごとき基準では決してなく――
ただの目安や手がかりにしかならないのです。
ただの目安や手がかりですから――
結局は――
人は、個々の事象が勃発したときに、その事象をよく観察し、分析し、その上で慎重に対応していくしかないのですね。
つまり――
過去の自然事象をどんなに詳細に踏まえていても、将来に起こるであろう自然現象の負の事象について十全に対応していくということは――
原理的に許されません。
にもかかわらず――
人は、十全に対応できるかのような錯覚をしてしまう――
自然現象について、現在、知られている傾向や規則性が、実は全くのお門違いであって――
この次に起こる未知の事象が、既知の事象を遥かに超越した規模や性質を備えているのかもしれないのに――
そうとは考えない――
考えたがらない――
それは――
もう、ほとんど、
――祈り
といってもよいくらいの仮定であろうと思います。
この「祈り」のような仮定が設定されていなければ――
人は、自然現象の負の事象に対し、いかなる予防策も講じられないのですね。
そう考えると――
何とも暗い気持ちになりますが――
それでも――
自然現象の負の事象に対応していくということは、そのような漆黒の闇に首を突っ込むことでもあるということを――
僕らは忘れるわけにはいきません。