ここ半年ほどは――
まったくといってよいほどに、
――プライベートな自由時間
がなくて――
元気が出ません。
困っています。
「プライベートな自由時間」というのは――
単なるプライベートな時間とも、単なる自由時間とも違うのです。
プライベートな時間であり、かつ、自由に活用できる時間――
それは、例えば――
小説を書く時間に当ててもよいし――
昼寝をする時間に当ててもよい――
小説を書こうが昼寝をしようが――
誰にも咎められない――
誰にも褒められない――
つまり――
誰にも関心を持たれない――
そういう時間ですね。
そんな「プライベートな自由時間」を繰り返し享受することで――
人によっては、それを「享受」とはいわずに「浪費」というでしょうが――
そうすることで初めて――
人は、プライベートな時間の意義を考え、自由に活用できる時間の可能性に目覚めるのではないか――
つまり――
アップル・パイの美味を繰り返し享受することで――
人は、パイだけを食べる意義を考え、アップル(りんご)だけを食べる可能性に目覚める――
そう思うのです。
「プライベートな自由時間」が備える2つの要素――プライベートであるということ、および自由に活用できるということ――これら2つの要素は混同されがちです。
実際には、これら2つは明確に区別できます。
プライベートでの拘束時間や仕事中の自由時間を考えればよいでしょう。
が――
その区別は、たぶん「プライベートな自由時間」を繰り返し享受することなしには困難なのです。
アップル・パイを1回だけしか食べたことのない人に――
パイだけを食べたり、アップル(りんご)だけを食べたりすることの意味を考えることは困難でしょう。
そもそも、そういった関心をもつに至る動機づけが、皆無だろうと思うのです。