マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

映画の完全体

 映画の物語の中で――
 主要な登場人物が自分や自分たちの苦悩を――
 語るのと語らないのとでは――

 物語の印象は、がらっと変わってきます。

 語るのであれば――
 その映画の視点の位置――やや比喩的にいえば、登場人物を演じる俳優からの撮影カメラの距離――が近いと感じられ――
 語らないのであれば、遠いと感じられる――

 この「視点の位置」は――
 僕の大雑把な印象に基づくと――
 だいたい、どのジャンルの作品であっても――
 邦画では、

 ――近い。

 と感じ――
 洋画では、

 ――遠い。

 と感じます。

 その「遠さ」が物足りなくて――
 僕は、洋画には、いま一つ満足できないのですが――

 その「近さ」が鬱陶しくて――
 逆に、邦画を嫌っている人も、少なくないに違いありません。

 たしかに――
 映画の本分からすれば、「視点の位置」は遠いほうがよいように感じます。

 だって――
 近くするのなら、小説のほうが遥かに適していますから――
 小説の心情描写は、苦悩を物語の登場人物に語らせるのには、うってつけの手法です。

 それでも――
 僕は、「視点の位置」は近いほうがよいと感じています。

 ――映画は小説の完成形だ。

 と信じているからです。

 多少なりとも小説の手法を残す映画――つまり、「視点の位置」の近い映画――こそが――
 映画の完全体だと思っているからです。