マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

自分の発言に責任を負うということ

 自分の発言に責任を負うということは――
 結局は、自分の発言の内容について、いくらでも説明を尽くす、ということであって――

 決して、何かの役職を返上したり、金銭を支払ったりすることではありませんよね。

 だって――
 それらは、少なくとも発言の責任を全うすることとは関係がありませんので――
 ただ、懲罰を受ける、というだけのことですので――

 もちろん――
 懲罰を課したり、受けたりすることで、事が収まるなら、それもよいとは思いますが――
 発言の責任を全うするということとは別次元の話です。

 見方を変えれば――

 あとで説明を尽くせないようなことについては、決して発言をしてはいけない――
 ということでもあります。

 例えば、感情ですね。

 自分の感情を発露するような発言には、決して責任を取れません。

 人は、感情のことでは、ほとんど何も説明を尽くせないからです。
 感情の変化に、とくに説明を要する理由などは、ないからです。

 しかるべき契機があれば、しかるべき感情を抱く――
 それだけのことしか、指摘できません。