マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

見たいものが見えなくても

 見たいものが見えないと――
 昔は、
(あ~! いらいらする!)
 と息巻いたものですが――

 最近は、
(あ~、むしろ、このまま、ずっと見えないほうがいいかもな)
 と黙考してしまうのです。

 見えていないからこそ美しい――
 見えてしまったら、おぞましい――

 それが現実や直視の宿命で――

 虚構や空想は――
 そうした「おぞましさ」から、自分の心を解放してくれるのです。

 どうせ――
 人間、自分が生きている間に直視できる現実の量なんて――
 微々たるものでしょう。

 その量の限界を――
 虚構や空想で補うのは、ひとつのやり方に違いありません。