将来を楽観的にみるべきか、それとも悲観的にみるべきか――
それは――
結局は、個人の趣味の問題であるような気がします。
少なくとも、人生訓のようなものに含めるべきではない――
僕個人の話をすれば――
僕は――
常に将来を悲観的にみるほうなのですが――
それは――
僕が、ずっと将来を楽観的にみていて、あとで悲劇的な将来を迎えるのが、たまらなく嫌だからなのであって――
中には――
ずっと悲観的にみているのが、たまらなく嫌――
という人もいるでしょう。
数年前までは――
ずっと将来を悲観的にみていて、常に最悪のシナリオに備えているのが、もっとも合理的である――
と信じていたのですが――
まあ、そうした信念に賛同して下さる人たちとは、その「合理性」を共有できても――
賛同して下さらない人たちとは、当然ながら、その「合理性」を共有できないわけで……。
それだったら、
――趣味の問題
として片付けるのが一番だと思うのです。